Y様へ

 せっかちなアナタが逝って早や一年が来ようとしていますね。
 あの世でアナタの御両親、私の両親とも会えたでしょうか。
 縁を繋いでくれた私の姉も四月に早や逝ってしまい、益々寂しくなりました。
 手紙で始まった二人の交際、数え切れないやりとり、この手紙が最後になるのでしょうか。
 世界を廻り、主要港へ手紙で追っかけ、子供の事、生活の事、その時の心情など、心のすれ違いも時々あったりして、沢山のエアメール交換も遠い昔になりましたね。
 岩手の三陸で青春時代を過ごし、縁あって香川へ来て四十七年、海上生活四十年近く。私の両親と同居で、多少の摩擦もあったけど、どうにか大過なく両親を見送り、孫も上は来年大学予定ですが、その姿を見たかったでしょうね。
 海上生活を終え、陸に上がってゆっくり二人だけの生活になって数年、病気が発覚し七年、手術、入退院、通院と、よく頑張ってくれましたね。
 その間には少しばかりの畑で慣れぬ野菜作りに熱心に挑戦、おいしく出来るのを楽しんで沢山いただきましたね。残してくれた参考本や小道具類で、私も頑張って上手しい野菜作ります。
 体調の良い時は旅行も沢山思い出ですね。特に四年前、もう誰も居ない故郷へツアーで巡り、三陸海岸を北上、「もう来る事もないだろう。」と云ゝ乍らとても懐かしんでいましたね。
 その二年後にあの大惨事。変わり果てた陸前高田の松原、釜石、宮古と、よくその前の姿をしっかり見届けられ、心に残せてよかった、と何回もつぶやいていましたね。
 そのうちに少しずつ体力も落ちて来て、最後に二人で出かけたのが、又、奇しくも最初のデート地神戸、それもアナタの船員生活上、一番の誇りの国内最大の豪華客船「クリスタル・ハーモニー」現在の「飛鳥Ⅱ」の船内試乗会の招待客として乗船出来た事。
 二十年余前「クリスタル・ハーモニー」の処女航海で世界一周の乗組員として働いた事が鮮烈に思い出されたようでしたね。
 それからは出かける体力もなくなり、半年余自宅で入院を嫌って近くの町医者さんの訪問診療を受け乍ら、ゆっくりした気分でよかったよね。
 今、アナタに一番言ゝたかったのは、アナタの本当に苦しい中の最後の一言が私の胸から離れず一生消える事はないでしょう。
 亡くなる二日前、耐えられなくなり、救急車で病院へ、息苦しそうで会話も出来ない状態の中、翌日駈けつけてくれた鎌倉の妹達が精一杯励ましてくれたけど、うなずくだけでしたね。 
 でも全部聞こえてたのね。
 夜遅く妹達が「お姉さん疲れてるでしょうから、今晩は私達に任せて帰って休んで。」と、言ってくれた瞬間「帰るナ!!居って!!」と、はっきりしたアナタの声に皆ビックリ!!ちゃんと全部聞こえていたのですね。
 それが最後の言葉でしたが、胸が熱くなり、その夜一睡もせず二人で最後の時を過ごし、翌日の昼逝ってしまいましたね。
 晩年はいろ〱ドラマチックな思い出と共に、長い間本当にありがとうございました。この言葉を告げたくて、そして今は感謝〱の日々を過ごしております。
 そのうち行きますからね。合掌

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