昭和も遠くなったね、母ちゃん

母ちゃん、八十歳にもなろうとする男が「かあちゃん」もないものだが、おれにはやっぱりそう呼ぶしかないよ。

 母ちゃんは三十七歳の若さで親父と死別した。それ以来、中二だったおれを頭に四人の子どもを抱えて、苦労の連続だったね。春から秋は早朝から日暮れまで農作業、冬は黙々と一人で雪掘り・・・本当に働きづめの生涯だった。しかし、おれたち兄弟姉妹は、かあちゃんの嘆きや愚痴を一言も聞いたことがなかったな。

 家には百歳まで生きた気丈なヒデおばあちゃんがいた。晩年の十年程はずっと病臥していた。昭和五十年代は自宅介護が当然だったけれど、母ちゃんはその間病人に床ずれ一つ作らせなかった。母ちゃんの献身的な介護によって迎えたおばあちゃんの百寿の祝いは、県からもお祝いが訪れ、わが家の盛儀だったね。

 「百歳を介護の人も古稀の秋」これは同じ集落のミツエさんが、そんな母ちゃんを労(ねぎら)って贈って下さった一句だけれど、村の人たちもみんな、柔和で辞儀低かった母ちゃんを、温かく見守ってくれていたのではないかな。

 おれたちの記憶の中の母ちゃんは病気一つしなかった。母ちゃんはいつも自分を健康に生み育ててくれた両親に感謝して「私は達者だからこそ人様に何かしてあげられるんだよ。」と言っていたね。ところがこのおれときたら生来虚弱で、大学三年でとうとう病気休学。負け犬のようになって家に戻ってきた。頼りにしていた長男の不甲斐(ふがい)なさに、母ちゃんには失望も悩みもあったろうに、何も言わず温かく受け入れてくれた。貧しかったけれどあの時の家族の温もりは、今でも胸を締め付けられるようなおれの思い出だよ。その後おれはなんとか持ち直して教職に就き、四十年の勤めを全うすることができた。

 母ちゃん、思えば昭和も遠くなったね。専(もっぱ)ら人のために尽くし、口数少なく、分をわきまえた生涯を貫いた母ちゃん。平凡といえば平凡、愚直といえば愚直としか言いようのない母ちゃんのような生き方はもう昭和とともになくなってしまった。でも、おれたち兄弟姉妹は、母ちゃんが背中で示してくれた教えを大事に守っていくよ。百一歳の長寿を全うした母ちゃんの一周忌ももう間近。お墓の前でこれからも兄弟姉妹仲良くしていくことを誓うよ。それがおれたちのできる、たった一つの親孝行だもんね。

お浄土の 花野を母の 後(うしろ)影(かげ)    松夫

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